立石正博

立石正博(横浜市青葉区在住)

株式会社CORNERSTONE
創業:2015年
住所:町田市中町3−10−6 COMMUNE BASE マチノワ
事業:新規事業立ち上げ

 

横浜市内の高校を卒業し、大学と大学院では化学を専攻しました。卒業後、鉄鋼メーカーに入社し、富山にあった半導体の研究所に配属されました。その当時、次世代の産業のコメと言われた半導体に日本中の企業、特に鉄鋼メーカーが挙って参入した時代でしたから、その分野に配属となった次第です。
パートナー企業だった台湾企業の半導体工場の立ち上げ支援や神奈川の試作ライン立ち上げも終わり、5年が過ぎたころに、もっと違う世界を見てみたいと思い、米国に本社がある半導体の製造過程で使われる検査装置メーカーの日本法人に転職しました。日本の半導体工場に長期滞在して、検査装置から得られるデータを基に生産工程の改善を提案するといった仕事を行いました。その頃、半導体製造工程では経験則から大量データ統計解析へと時代が移るころで、検査装置売り上げは急増します。数年すると韓国や米国の半導体メーカーが日本企業の技術を真似ながら、資本の力で事業展開を始めたため、日本企業が求める仕様変更に米国本社がなかなか応じてくれません。日本企業と米国本社との板挟みになり、その頃、急速に英語のスキルが上がりましたね。
そんなこともあり、半導体の歩留まりを助言するコンサルタント企業に転職し、渡米します。この会社は創業間もない小さなベンチャー企業。日本人は私1人で周りのスタッフは米国の著名な大学のマスターやドクター達で、とても刺激的な職場でした。ここでは、日本法人の設立も担当しました。5年勤務しましたが、日本と米国を月2回往復する生活で、時差から体調がかなり不安定になったため、日本に戻ることにしました。
日本に戻りしばらくすると、米国やイスラエルのベンチャー企業と日本の半導体メーカーをマッチングさせる会社を創りたいという方と出会い、米国コンサルティング会社を退職。パートナー六人で創業します。日本の半導体メーカーの期待を集めた事業でしたが、米国のビジネス環境が急変したことでビジネスが成立することが難しくなり私はこの事業から退きました。その後、ドイツや米国の企業の日本法人代表として、国内事業の再構築や日本市場の開拓に取り組みました。

ちょっと話が逸れますが、日本の大企業と海外の企業の一番の違いは意思決定の早さと感じています。日本は優秀な方が多いです。ただ、決められない方もとても多いと思います。私が勤めた会社の米国経営者は部下から送られてくるメールを毎日500件ほど見ていました。情報を直で摂るんです。『決断に不安があるのは情報が不足しているからであり、十分な情報があれば自然と結論が出る』と言っていました。また、『(今の世の中は同時に動いているため)与えられる期間は同じで、期間内の経験数の差が、優劣の差になる』と、競合の2倍ではなく10倍の経験をするべく資源を投入していました。そのような考え方はシリコンバレーだからかもしれませんが、企業がグローバル競争の中後れを取る理由の一つであると感じています。

2015年に日本企業の海外進出をサポートする株式会社CONNERSTONEを創業しました。長年、海外で仕事をしてきたことや外資の日本法人の代表を経験した強みを生かし、日本企業の海外ビジネスを成功させたいと考えています。今は太陽光発電プラントの工事会社や工業用X線検査装置の会社のアジア進出を支援しています。
今後は、介護人材の不足を解決するため、アジアの人材を日本に呼び寄せる事業を通して、日本企業を支援したいと考えています。また、アジアで儲かる農業の仕組みづくりにも挑戦します。小作で貧しい生活を営むアジアの多くの人達が自立できるような新しい農業の仕組みを日本企業と組んで作っていきたいと考えています。