世羅田京子(町田市能ヶ谷在住)

絵屋
( 町田市中町3-10-6 COMMUNE BASE マチノワ)

世羅田京子さんは川崎市で生まれ、その後、埼玉県嵐山町、浦和市、10歳からは横浜市で過ごす。小さな時から物静かで世界文学全集やシェイクスピアを読破するような文学少女。中学ではフランソワーズ・サガン、アガサ・クリスティ、高校ではジャン・コクトーなどの文学を愛し、ヨーロッパの文化や文学に強い憧れを持っていたそうだ。また、池田理代子の「オルフェウスの窓」や萩尾望都の「ポーの一族」も愛読していた。読書家だったので成績は良かったが、人と接するのが苦手で「ネクラな白井(旧姓)さん」と呼ばれていた。

高校では美術部。母親が画廊に勤めていたので、小さな頃から美術が日常に在ったことも入部の動機の一つだが、入部の決め手は美術部を覗いた時に一目惚れした先輩がいたから。高校の美術部は自由な雰囲気で性に合っていたようで、部室一杯にビニールひもを使ったクモの巣の作品を制作したりと思う存分活動する。部活動には熱心だったが、しょっちゅう授業を抜け出して一人で街に散歩に行くような風変わりな高校生でもあった。高校三年生の時、美術部の顧問から「白井さんは美大に行くんだよね」と声をかけられ、一目惚れした先輩も芸大に進学していたこともあり美大を目指すことになる。浪人中通っていた鎌倉の予備校での生活がその後のアーティスト生活の素地となる。一浪して多摩美術大学に入学。専攻は絵画学科の油画。一歳違いの妹も大学に進学していたので、生活費や画材代を親に頼れず、ティッシュ配りや画材店の店員などアルバイトに精を出す。橋本駅からバスを使わず大学までの山道を歩いて通うこともしばしば。小太りでネクラだった世羅田さんも多摩美に入学する頃には随分スリムになって、自称美少女に変身。

大学では現代アートに打ち込み、卒業展で発表した作品「あめ」は若手アーティストの育成に力を入れていたINAXギャラリーから個展のオファーを受ける。出光美術館への就職も内定していたので就職か貧乏覚悟でアーティストの道を歩むか迷ったようだが出光美術館に勤務しながら夜や週末に作品を制作するという道を選択する。就職してからは1年半に1回のペースで個展を開いていた。出光美術館では学芸員のアシスタントとして展示の設営、カタログ製作、広報などを担当し、結婚を機に8年目で退職する。退職するまで個展は続けていたが出産・子育てと脱サラして起業した夫のサポートに追われ作家活動を中断する。作品制作をやめたことで、それまで興味のなかった現実の社会や今生きている場所をしっかりと見て捕らえることが出来たし、育児を通して、もう一度子供の視点で世界を見る事が出来たことも本当に良かったと思っている。制作をやめたことに挫折感はあったが、今となっては「人生万事塞翁が馬」という心境だ。

復活は2012年に町田の中央図書館で開いた絵本展。しかし、絵本の作画制作が今一つピンとこなかったそうで、活動は途絶える。2017年夏に町田市中町にあるイベントスペースを併設するコワーキング施設「マチノワ」に出会う。現代アートにピッタリの会場だと直感したそうだ。会場に触発されたようで2018年4月に自身の作品展示を含む「7人の作り手展」を、同年11月には「標本箱に入ったアート展」を開催している。現在は画廊とワークショップを組合せた活動をマチノワで月一回のペースで開催している。町田のアーティストに活動と発表の機会を提供することで町田のアートシーンを活性化しようとする試みであり、この活動を全国に広げていきたいと考えている。世羅田さんはまちだ未来ビジネスアイデアコンテスト2020に応募し、大賞を受賞している。小田急線町田駅に設置された「町田みんなのプラットフォーム」の活用アイデアで、既に実現化に向けた協議が進められているそうだ。創作活動、ワークショップの運営、絵画の展示・販売・レンタルなど幅広い活動を続けている世羅田さんの今後がとても楽しみだ。
(インタビュー・文/山本満)