石橋佑一郎(町田市小山町在住)
木版画作家
石橋佑一郎さんは1986年福岡県久留米市生まれ。父親の転勤に伴い宮崎や福岡県糸島市でも暮している。中学時代はバンドでギター、その当時流行っていたブルーハーツのコピーを盛んにやっていた。絵を描くことも好きで中学生の頃から将来はアーティストになりたいと思っていたという。進学した博多青松高校は単位制の高校で芸術系の科目が充実していたので美術や音楽を志す若者もたくさんいたそうだ。石橋さんは美術部に入り絵画に本格的に取組むようになる。夜間も授業がある高校だったので仲間と夜遅くまで美術室にこもり絵に没頭する。高校時代はコンクールにもしばしば出展し入賞もしている。
美術大学への進学を目指すも受験に失敗し、浪人生活を送る。1年間地元の予備校でデッサンに明け暮れる。一浪し多摩美術大学の絵画学科版画専攻に合格。油絵を目指していたが、合格したのが版画専攻だったので版画の道に進むことに。高校時代に版画の経験は無く、未知の世界だったが版画は面白かったようだ。1年生の時に木版画、銅版画、リトグラフ、シルクスクリーンと版画の手法を一通り学び、二年生からは木版画に絞る。表現の可能性が大きく、それゆえに一筋縄ではいかなかったから木版画を選んだそうだ。石橋さんは「木版画は不自由だったから」と表現する。また、卒業しても自宅で制作が続けられるのも木版画を選んだ理由の一つ。銅版画などは特別な道具が必要なので自宅で制作するのは難しい。この頃から作家として生きて行くことを決めていたのだろう。いろいろな表現を試みながら、今の作風が見えてきたのは大学4年の時。もう少し突き詰めていけばものになるとの思いもあり大学院に進学する。大学院は自力で行くと決めていたので奨学金も利用しつつ美術オークションの手伝いやデパートのショーウインドウの飾りつけなどのアルバイトにも精を出している。
大学院卒業後は同大学の助手を4年間勤め、助手1年目の時に初の個展を開く。会場は今も毎年個展を開いている小伝馬町にある画廊「JINEN Gallery」。自分の作品十数点が画廊の壁を埋めた様子を見てとても嬉しかったことを覚えている。100人近くが来てくれたし、作品も売れて、作家としての自分に手応えを感じた。2015年に第9回飛騨高山現代木版ビエンナーレ優秀賞、2017年に第23回鹿沼市立川上澄生美術館木版画大賞展準大賞、2018年に第7回山本鼎版画大賞展優秀賞を受賞している。活動は国内に止まらず台湾、中国などにも活躍の場所を広げている。2017年には版画協会展で優秀賞を受賞し同会の会員に推挙されるなど若手木版画作家として注目されている。
とはいっても、作家活動だけで食っていくことは難しく作品制作の傍ら、高校で美術を教えたり、器用さを買われ商品の試作製作の手伝いもしている。一握りの人しか成功しない厳しい世界にあっては当然歩む道なのだろう。作家活動を継続するためには。
これからも木版画の新し表現に挑戦していきたいし、版画以外も制作していきたいと石橋さんは考えている。油絵や立体もレパートリーに加え「石橋佑一郎の世界」のようなものを作り上げたいと。今年11月に開催を予定している個展ではそれを実現させようと準備を進めている。また、切手型の版画や顔料に偏光パールを使うなど木版画の新しい表現にも挑戦している。アーティストを目指した中学生の頃から20年、淡々とその歩みは続くのだろう。
(インタビューを終えて)
石橋さんとは縁あってマチノワでワークショップを開催していただいたり企画展にも出展していただきました。先日はアトリエを兼ねたご自宅で昼食をご馳走になりました。美味しくやさしいお料理と整ったアトリエはその人柄を表しているようでした。
(インタビュー・文/山本満)