鷲尾 了(横浜市泉区在住)

株式会社ベストエナジー企画
https://be-kikaku.com/index.html
創業:2017年8月
住所:町田市中町3−10−6 COMMUNE BASE マチノワ
①再生可能エネルギー利用、コージェネレーション等のシステム設計
②新規事業立ち上げサポート

◌創業まで
父親が転勤の多い職業だったので高校までは川越、盛岡、長野と転居を繰り返しました。大学進学で東京近郊での一人暮らしを経験します。中高の頃から化学や物理が好きだったので大学では機械工学の分野に進み、研究室では油圧のキャビテーションの研究を。建設分野に興味があった事もあり建築設備会社に就職しました。しかし、入社6年目、その会社の親会社が田中角栄元首相が逮捕される事件で世間を騒がすことになります。その影響で信用を失い、あらゆる官公庁から指名停止を受け売上は激減し、営業部署では外へ出ても仕事の話ができない有様でした。めちゃくちゃでしたね。
悩みましたが、一生勤める会社ではないと思い、転職を決意します。30歳の時です。そんな時、目にしたのが「ソーラーエンジニア募集」というソーラー集熱器メーカーの新聞広告です。ソーラーエンジニアという言葉に惹かれました。配属されたのが東京支社にあった空調機器部の太陽熱チームです。6人のチームで営業から設計までなんでもやりました。大規模な工場や温浴施設からの仕事の依頼が途絶えず、残業をやってもやっても追いつかないほどでした。その当時は太陽熱集熱器のメーカーが全国で200社を超えるほどの大ブームでしたから。その後、数年で急速に太陽熱のブームが萎んでいきました。そして、私は吸収式冷温水機を製造している浜松の事業所に転勤となります。
この事業所の将来を仲間と語り合う中で、外注に頼っている設備設計を社内で対応する必要性を強く感じるようになります。そのことを会社に働きかけ、100%出資の新子会社を立ち上げて初代の社長になります。その後、施工管理をやっていた別の子会社と合併して、設計から施工管理、機器メンテナンスまでをやるワンストップの会社ができました。私は親会社に戻ることはなく、この会社で定年を迎えました。この会社での後半は専ら海外担当となり、アブダビの砂漠に計画されていた新都市への太陽熱冷房モデルプラント、北京市の建築科学院と組んだ太陽熱の冷房システムの実証実験、新疆ウイグル自治区トルファンでの太陽熱を利用した大規模な地域熱供給システムなどスケールの大きな仕事をさせてもらいました。国内では岡山県西粟倉村の木質バイオマスを使った地域暖房システムにも取り組みました。このプロジェクトは退職直前の2016年から始まりました。

◌創業から
起業の理由の一つが退職後も西粟倉村のこのプロジェクトに関わりたいと思ったからです。もう一つの理由は、定年退職した人達が楽しく、生きがいを持って働ける職場を作りたいと思ったことです。元同僚で創業メンバーの久米淳文さんと昔から酒を酌み交わしてはそんなことを話していました。そして、起業のもう一つの理由はソーラーです。転職のきっかけとなった太陽熱や再生可能エネルギーに今再び注目が集まっています。30歳当時の想いが蘇ってきました。もう一度、やってみたいと。2017年6月に退職し、8月に久米さんと2人で会社を興しました。
今は岡山県西粟倉村の仕事が中心ですが、古くからの知人にも声をかけてもらって仕事を広げています。また、元所属していた会社はもちろんですが、その協力会社まで含めて成長を手伝う仕事もやっていきたいですね。そして、今は夢みたいな状態ですが中国の沼や湖に自生する芦や膨大な量の農業残渣を有効利用した暖房、給湯、発電システムの可能性を調査しているところです。今後も再生可能エネルギーや環境に関わる仕事で社会に貢献していきたいと思っています。そして、退職後もまだまだ働き続けたい仲間を少しずつ迎え入れて、いい会社に育てていきたいですね。