田中想平(横浜市南区在住)
田中想平さんは1984年、横浜市南区南太田で生まれる。小中高校とサッカー部で活躍したスポーツマン。高校卒業後、東京農大短期大学部環境緑地学科に進む。ここは造園家を目指す若者が全国から集まる造園のメッカのようなところで、田中さんの同級生も半数近くは造園業の子息だったそうだ。この道を選んだのはデスクワークではなく屋外での仕事に就きたいと考えていた高校生の頃、庭師を描いた英国映画「グリーンフィンガーズ」を見たのがきっかけ。屋外で働く仕事はたくさんあるが、造園という仕事には「自由に発想し、何かを創りだす」創造の喜びのようなものがあると思ったから。
大学を卒業し、国立市にある「植繁」に就職する。就職先として個人邸の庭を造っている会社を探していると大学からここを紹介されたそうだ。小規模な会社だったが若い人を育てることに熱心で、ここの4年間で造園の基礎を しっかり 身につけた。厳しい親方にしごかれてヘトヘトに疲れていたし、生活のために夜のバイトもしていたので、作業中に箒を持ちながら寝ていたこともしばしば。バイト先のバーで田中さんが余りにも疲れた顔をしていたので常連客が気を使って早く帰るようになったというエピソードもある。
「イギリスの庭が観たい」という思いが募り、語学学校の学生としてイギリスに渡る。高校生の時に観た映画「グリーンフィンガーズ」もイギリスの庭が舞台、それも影響したのだろう。午前中は日本人造園家のアシスタントとして働き、午後は語学学校という生活を送る。バイトは庭の勉強にもなったし、食費と部屋代が何とか賄えたそうだ。ここでの一年間で生活するには事欠かない英語力を身につけた。イギリス全土の庭を巡ったそうで、特にアラブ人の豪邸の庭にはびっくりしたそうだ。
田中さんは28歳の時帰国し起業する。まずは知人の庭師の手伝いから始める。元の職場「植繁」の手伝いもやったそうだ。今の仕事は新規の庭づくりと既存の庭のメンテナンス。また、一人親方が多いい業界なので知人の庭師の手伝いをすることもしばしばあるそうだ。新規の庭づくりは個人邸やオフィスを年2件くらいやっている。一番気に入っているのが町田にあるオフィスの中庭。私も見学させてもらったが、四方をガラスドアで囲まれた中庭はまさに小さな雑木林。小さな池も配置され、苔むす様子も素晴らしい。
田中さんの目標は大きな木がある大きな庭づくり。マンションや福祉施設などの敷地に大きな庭を造りたいと思っている。大きな敷地をキャンパスに思い切りやりたいのだろう。 また、規模は小さいが個人邸の庭にもやりがいを感じている。個人邸はオーナーの趣味やテーマが明確で、その要望にいかに応えるかを考え提案していくのが面白い。宮古島のような南国風の庭をリクエストされた時は宮古島まで行ってイメージを膨らませ提案したそうだ。実はマチノワの庭も田中さんの作品。春には山ツツジが夏には百日紅(サルスベリ)が咲く季節を感じさせる落ちついた小庭を作っていただきました。
(インタビュー・文/山本満)
以下の写真は文中に出てくる田中さんが造った庭です。ご覧ください。