奈良秀明(町田市本町田在住)
奈良秀明さんは1983年町田市生まれ。地元の小中学校を卒業し、都立忠生高校に進む。小学校3年生から高校3年生まで部活動は野球。大学はお兄さんの影響もあり日本体育大学体育学部に進学する。ここでタッチラグビーに出会う。長年やってきた野球は静と動の要素が強く、オフシーズにやるバスケットやサッカーのような常に動き回るスポーツの方が向いていると感じていた。
大学でタッチラグビーのサークルに入る。サークルに女子が大勢いたというのも動機の一つだったが、日本代表になれるという言葉が大きかったようだ。入部して早々に日本代表の合宿に参加し、足の速さと野球で培った球際の強さが認められ代表に選ばれる。その年の暮れにオーストラリアで開催されたニューサウスウェールズ州のステートカップに出場。タッチラグビーはオーストラリアとニュージーランドがダントツに盛ん。大会が行われた会場はフィールドが30もあり日本では考えられない光景に驚いたそうだ。この大会で奈良さんは初戦で鎖骨を折り離脱しチームも全敗している。2003年に埼玉県熊谷市で開催されたワールドカップにも出場しチームは4位に入っている。
大学卒業と同時にオーストラリアに渡りシドニーのクラブチームに入る。設立したばかりのクラブチームでオーストラリア代表クラスのトッププレーヤーが集められていたそうだ。奈良さんはレギュラーに選ばれるも3試合目で前十字靭帯を痛め戦列から退いている。帰国し、郵便局でバイトを1年、正社員で2年勤務するもタッチラグビーへの夢は断ちがたく退職し、今度はニュージーランドに渡る。ここでは州代表に選ばれ同国の大きな大会に出場し決勝に進んでいる。奈良さん26歳、実力もつきタッチラグビーへの理解も深まり、世界トップクラスにも十分に戦えるという実感を持てたという。ニュージーランドもワーキングホリデーでの渡航だったので1年で帰国し、タッチラグビーの社会人チームに入る。ここで3年間仕事をしながらタッチラグビーを続けたが仕事との両立に悩み鬱のような状態になる。あんなに好きだったタッチラグビーが嫌になったそうだ。退職を決意する。30歳の時だ。
もう一度タッチラグビーを心から楽しめるようになりたい。タッチラグビーに恩返ししたいと思い、タッチラグビーの「一人世界ツアー」を始める。資金集めのクラウドファンディングもやった。上海を皮切りにオーストラリア、ニュージーランド、台湾、インドネシア、ベトナム、インド、トルコ、最後はイングランドと巡って十か月24カ国。各国で開催される大会の日程に合わせ移動し、その地のクラブチームに加えてもらいプレーするというスタイル。宿は知人の家を転々とするヤドカリ暮らし。タッチラグビーで知り合った人達を頼りにした。東南アジアでは日本のラグビー界のネットワークにも世話になったそうだ。
帰国しタッチラグビーで食っていこうと決めて活動を開始する。2015年に町田ゼルビアのタッチラグビースクールのメインコーチ―に就任。その後、府中で活動するBRAVE LOUVEというの女子7人制ラグビーチームのコーチにも就任している。そして、ニュージーランドの選手達が身に着けている相手を瞬時にかわすステップスキルを「ニュージーランド式ステップ」と称し個人やチームを相手にレッスンする仕事も始める。前々から「You Tube」にアップしていた動画を見た人やチームから教えて欲しいという依頼があったのがきっかけだったようだ。
今後はタッチラグビーとニュージーランド式ステップを核にいろいろとやっていきたいと考えている。選手としても2023年に6度目となるワールドカップ出場と金メダル獲得を目標としている。最終的にはタッチラグビーを通して自分と触れ合うことで多くの人達が幸せに、そして笑顔になる。そんなことを実現していきたい。
(インタビュー・文/山本満)