田所千恵(町田市中町在住)

Cafe travessa

田所千恵さんは町田市生まれ。幼い頃からスイミングスクールに通い大人と肩を並べるほどの実力に。中学ではバスケ部、高校の時は空手部に所属し、とにかく元気な子どもだった。建築家を目指し大学に進学。卒業後はハウスメーカーに勤めたが2年で退職。進路に迷い、米国への留学も考えている時、ピースボートが企画する「ヤシの実クルーズ」のポスターを目にする。その直後、このクルーズは中止となったが、新たに募集が始まった「カンボジアクルーズ」の事前の現地調査への同行をスタッフから打診される。「君は面白い、是非行ってみないか」と強く誘われたそうだ。これも何かの縁、人生の中の大切な出逢いだと感じ行くことを決める。24歳の時だ。カンボジアに滞在した3週間は衝撃的だった。長い内戦の後で社会は混乱していたし、無数に埋められた地雷の被害に多くの国民が苦しんでいた。地雷で傷ついた負傷者へのインタビューにも同行し、近くで話を聞いているだけで涙が止まらなかったそうだ。この事実を知った者として多くの日本人に知らせる義務があると思い、帰国後すぐに地雷撤去のための街頭募金「100円キャンペーン」を立ち上げる。新宿や渋谷といった繁華街でもやったし、その年開催された長野オリンピックの開会式会場へも出かけていった。マスコミにも取り上げられ大きな反響を呼び、3ケ月で300万円近くの募金を集めた。その後クルーズでカンボジアを訪れた際、現地の地雷撤去団体へ直接手渡した。

その後ピースボートのスタッフとなり、北アイルランド、ユーゴスラビア、南アフリカなど紛争地域を立て続けに担当。通算で13年余り在籍した。船内企画スタッフとしてアジア、アフリカ、南米、南太平洋の島々と世界中を回った。乗船した若者が仲間とともに世界を周り、世代や国を超えた交流を重ねることで、逞しく成長する姿を傍で見ていて、ピースボートの体験は人を変える凄い力があると思った。そして、こうした体験ができる場所を地元町田に作れないかと考えるようになる。ピースボート を辞め、フリーのグラフィックデザイナーを続けながら、町田市中町に小さな一軒家を借りカフェトラベッサを開業する。少人数でのプライベート会食から多い時は25人ほど入る講座学イベントまで、企画、集客、当日の進行、食事提供まで一人でこなした。イベント主体の場づくり、デザイナーの仕事、そして子育てと多忙を極めた。開業して9年目の2019年、一度リセットしたいと、この店を閉じて地方への移住も考えたそうだが仲間や利用者に引き留められて思いとどまる。「ここは自分たちの夢を実現する場所、やめないで」と言われたそうだ。デザインの仕事と両立させるため、今は昼間の営業は週3回、残りの日はデザイナーとして都内の会社で働いている。

毎月第一日曜日には「トラベッサマルシェ」を開催。平日昼間には来れない遠方に住む人たちも集える場として定着してきている。また、今、計画しているのは、子どもから大人まで、学びたいと思ったタイミングで学べる機会を提供する「旅する学校」。各分野で活躍する知人たちの協力を得てこの夏から始動する予定だという。

ピースボートとは

1983年に設立された国際NGO。船旅を通じて、様々な国や地域に暮らす人々と直接顔の見える交流を行って国と国との利害関係とはちがった草の根のつながりを創り、平和の文化を築くことをめざしている。これまで築いてきた世界中のネットワークを活かし、様々な国際協力活動や政策提言活動を続ける中、2002年には国連の経済社会理事会(ECOSOC)との特別協議資格を持つNGOとして認定、2017年には、ピースボートが国際運営団体を務める核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、ノーベル平和賞を受賞した。

(インタビュー・文/山本満)