赤松恭行さんは1982年に神奈川県大和市で生まれる。小学生の時から野球に夢中。新庄の大ファンでプロ野球を夢みたが、ケガもあって中2で断念している。それからは髪も伸ばし、腰パンジーンズと結構ヤンチャだったらしい。
高校2年の時にアルバイトで地元の美容室に。小さなころからファッションが好きだったので自然と美容の世界に入る。この店で働きながら通信の美容専門学校に通い21歳で美容師の国家資格を取り、同時にスタイリストになっている。
顧客からも可愛がられ、アシスタントだった頃にはシャンプーで指名してくれるお客さんも結構いたそうだ。シャンプーを喜んでくれるお客さんを目の前にして、人と接する仕事の面白さを実感したという。
スタイリストになった当初は不安でしかたなかったようだ。苦手なカットを頼まれるとビクビク、ドキドキ。持前の度胸でなんとか乗り越えたようだが。
その頃から都心で開催される講習会に足繁く通うようになる。高額な講習会も勉強になると思えば惜しまなかった。日本美容師界の開祖と言われるPEEK-A-BOOの川島文夫さんの講習会に参加したのもその頃だ。もっと上手くなりたかったし、18歳で結婚し家庭を持っていたので一日も早く稼げる美容師に成りたかった。
アルバイトから初めた地元の美容室で5年間働き、本厚木にあった美容院「アアルト」に移る。この美容院は本厚木をはじめ近隣で数店舗を展開していて、赤松さんは中央林間の店舗で副店長になっている。
30歳の時、シャル相模大野に店長として迎えられる。シャルが錦糸町にも出店すると両店を管理するエリアマネージャーとなる。そして、シャル町田が開店した2015年にシャルグループの経営母体である「DRY株式会社」の代表取締役となる。その後、船橋、新百合ヶ丘、八王子、上野、辻堂と店舗を増やし、今はスタイリストを中心に約100名が働いている。赤松さんは経営者として多忙を極めるが、今でも店の雰囲気やスタッフの気持ちを肌で感じたいと週二回はスタイリストとして現場に立っている。
シャルはスタイリストの技術はもとより待ち時間に映画を見たり、お茶やお菓子をサーブするなど航空機を意識したフレンドリーなサービスを提供している。カットとカラーで4,900円~15,000円と選択肢が広いのも特徴。そして、店舗への投資を惜しまず高級感のある店づくりを心掛けている。
シャルは従来の美容室と違う経営スタイルを取っている。在席するスタイリストは全員が独立した個人事業主。スタイリストは使用料を支払って店舗を共有するような仕組み。だからお客さんのシャンプー、カット、カラー全てを一人のスタイリストが受持つ。シャルはこうした仕組みで運営する美容室の先駆けだそうだ。
今後、店舗を15か所くらいに拡大することを目指しているが、それに見合ったスタイリストが揃わないのが課題。そこで美容学校の卒業生を採用し、自社で訓練し、スタイリストに育てる試みを始めている。将来は自社で育てたスタイリストがシャルの中核を担うようになればと思っている。
また、FC制度を導入し、スタッフが自分の店を持つことを支援したいとも考えている。
最後に赤松さんは「お客様やスタッフが幸せを感じてくれることが自分の幸せ。そのために、これからも色々なことに挑戦していきたい」と話してくれました。
(インタビュー&文 / 山本満)