田中健一(町田市南大谷在住)

地中海料理店「コシード デ ソル」 

町田市原町田6-29-4寺田ビル1F
定休日:月曜・第2日曜・第3日曜

田中健一さんは東京都府中市で生まれる。小学校では野球を中学校ではバレーボールで活躍する。高校ではバイクとアルバイト。高校1年の時から父親が総調理長をしていた会社の新宿にあったアメリカンレストランで働き始める。
住まいは府中だったが時給が高かったこの店で働きたくて父親に頼み込んだそうだ。

高校を卒業し、雑貨やアウトドア用品などを販売する京王アートマンに就職する。ここを2年で退職し、ホテルの配膳や青山ダイアモンドホールのフレンチレストランでホール担当として働く。

ここを2年で退職しワーキングホリデーを利用してオーストラリアに渡る。「マッドマックス」や「スターウォーズ」といったハリウッド映画が好きでアメリカへの憧れが強く、とにかく一度海外に出たかったそうだ。シドニーにあったシーフードレストランやサーファーズパラダイスの日本レストランで働き、その後1か月かけて友人と二人でオーストラリアを一周する。当時は海外旅行が珍しい時代で、海外で働いたことやオーストラリア周遊は貴重な経験で「人生の宝物」と田中さんは当時を懐かしそうに振り返る。

帰国し伊勢丹新宿店の中にあった高級喫茶店、白馬の高級リゾートホテルと飲食店で経験を積んでいく。その間、長い休みをとってアメリカ西海岸にも出かけている。

そして、父親が町田でオープンさせた地中海料理店「コシード」を短期間手伝う。父親は料理一筋の人で飲食店グループの総料理長を務めた後、50歳で町田に地中海料理の店を開く。スペインやイタリアの料理をご飯とともに箸で食べるというスタイルが受けて評判の店となり、町田街道沿いにあった店の前は路駐の車が溢れたそうだ。

田中さんはお父さんの店を離れ、広尾にあった地中海料理店「ラクエバ」に就職する。土地柄もあり佐藤浩市や武田久美子といった芸能人も訪れる有名店だった。ここに骨を埋める覚悟で一身に働き、料理と経営の基礎を学ぶ。オーナーもスタッフにも恵まれここでの3年間はとても楽しく思い出に残っているそうだ。

コシードが手狭となり移転するのを機に田中さんは両親と店を切り盛りすることになる。開店当初から大変な賑わいで田中さんもびっくりするほど客が押し寄せてきたそうだ。3人では回せなくなり、途中から弟さんも加わる。

コシードでの9年間を経て2005年にコシード デ ソルを開業する。田中さんは自分が考える理想のお店を一人で作りたかったようだ。理想としたのは町田街道にあった旧コシード。庶民的で気軽にお腹一杯になれる洋風めし屋のようなお店。コシードという名は町田で知れ渡っていたのでコシード デ ソルは順調なスタートを切っている。コシードが満席の時はコシードデソルを紹介してくれたりコシード デ ソルがいっぱいの時はコシードを紹介したりと助け合ってきた。

ここの名物は父親から受け継いだガーリック醤油が効いたスペシャルステーキ。これしか食べないというお客も多い。ハンバーグもスパゲッティもカレーもある。そんな気取らなさがこの店の良いところ。ランチは七割が女性客、夜はカップルも多いが30代、40代の働き盛りの男性が美味しい料理と大盛めしを目当てにやってくる。先日、コシード デ ソルを訪れると30代、40代の男性客が上手そうに夕食を頬張っていた。大盛のご飯やでっかいデザートが並んだカウンターは壮観。

「父に拾ってもらって今がある」と田中さんはいう。若いころは寄り道もしたが父親のお陰でこの道を歩むことができた。一緒に店で働いていた時は意見の違いで衝突したこともあったが今となってはただただありがたい。

恩返しは父親が34年前に作ったコシードを発祥とするこの店を守っていくこと、続けていくこと。父親は80歳まで現役、他界する2月前まで厨房に立っていたそうだ。そんな父親のように永く働き、一人でも多くのお客様に幸せを届けていきたいと思っている。

(インタビュー・文・写真/山本満)