篠原啓子(相模原市在住)
huit K(ユイットケイ)
篠原啓子さんはとげぬき地蔵で知られる豊島区巣鴨で生れる。小学生の時は両親に勧められて英語、ソロバン、習字、水泳とお稽古付けの毎日。バレエとエレクトーンも自分からやりたくて習ったそうだ。水泳は北島康介など多くの有名選手を輩出している東京スイミングセンターで平泳ぎを。高校では硬式テニス部で活躍する。地味な性格だったが、高校入学と同時に始めたマクドナルドでのアルバイトを契機に活発な女学生に変身する。中学時代に尊敬する教師に出会ったことや洋裁が好きだったこともあって、中学校の家庭科の教師になりたいと思い、埼玉大学の教育学部に進学する。大学時代もアルバイトに精を出し、いろいろな仕事を経験した。特に接客は性に合っていたようでとても面白かったそうだ。
最終的には教師になるつもりだったが民間も経験しようと地元の巣鴨信用金庫に就職する。接客が好きな篠原さん、窓口担当として働いた信用金庫はとても楽しかったようだ。私生活ではハリーポッターに夢中になり、舞台となったロンドンまで出かけている。もともと絵本は大好きだったので、ハリーポッターをきっかけに学校図書館司書の資格も取得した。
5年間勤めた信用金庫を退職し、オリエンタルランドに転職し、東京ディズニーシーのアトラクション「ブローフィッシュバルーンレース」「ジャンピンジェリーフィッシュ」「ワールプール」「アリエルのプレイグラウンド」の4箇所を担当した。ここの仕事は楽しかったが厳しいものだった。お昼前に家を出て、帰りは終電という生活が続いた。名残り惜しくもあったが、この状態では子供を産み育てるのは難しいと思い3年で退職する。
ご主人の転勤に伴い札幌を経て金沢に移り住む。金沢は加賀藩の城下町として数々の伝統が今も息づく古都。街を歩くと金箔、漆器、久谷焼、加賀水引、加賀友禅といった伝統工芸を身近に感じる街だった。そうした伝統工芸の中で一番身近だったのが加賀水引。金沢では小学校4年生で学校で水引を教えるし、街中にある公民館でも教えてくれる身近な存在。篠原さんも最初は自宅近くの公民館で教えてもらっている。
水引は「遣隋使」がもたらした長い歴史を持ち、三つの意味を持つといわれている。1つ目は未開封の保証、2つ目は魔よけ、3つ目は人と人を結びつけるという意味を持つ。また、今では広くアクセサリーとしても使われるようになっている。金沢に「自遊花人」という水引のお店ある。ここでは伝統の水引を現代感覚でアレンジし、アクセサリーやインテリアなどに幅広く商品化している。このお店を訪れたことが篠原さんが水引を世に広めようと考えるきっかけとなる。
金沢で水引をたっぷり勉強した後、ご主人の転勤に伴い相模原市に転居する。引っ越してきた5年前には相模原市や町田市で水引のアクセサリーを知っている人はほとんどいなかったそうだ。篠原さんが本格的に水引を教え始めたのは東林間にあった「工房はこの和」。ここのオーナーに勧められて水引のワークショップを開くと最初から10人位の参加者が集まってきたそうだ。このお店は閉店したがその後も場所を変えて相模大野や南林間で続けている。また、橋本や溝の口のショッピングセンターのカルチャースクールでも教えている。また、ピアス、ネックレスなどの水引アクセサリーはネットやイベントで販売しているし、テレビ出演やオンラインレッスンなどの依頼も寄せられている。評判を聞きつけて企業からノベルティー制作や店舗でのデモンストレーションを依頼されることもある。水引は2年前ぐらいから大きなブームが来ていると感じるが、子どももまだ幼く、多く寄せられる企画や依頼に応えきれないのが現状だ。
今は時間の取れるときにできる仕事を選んでいるが子供が成長し、手が掛からなくなったら本格的にやりたい。水引という日本の優れた文化を次の世代に正しく伝えていけたらと思っている。
(インタビュー&文/山本満)