大澤由夏(川崎市在住)

Yukka・TEXTILE design + weaving

大澤由夏さんの生まれは東京の目黒。生まれて直ぐに調布市の仙川に。小学校、中学校ともに調布市の学校。高校も家の近くにあった都立高校で学んでいる。中学校、高校とも軟式テニスの前衛で頑張る。

父親は本の装丁、母親は洋裁を生業としていたので、自然とものづくりに興味を持っていたそうだ。幼い頃に古くなったシーツを使ってスヌーピーのぬいぐるみを作った記憶もある。中学校の家庭科でパジャマのボタンホールを見事に作って、教師をビックリさせたことも。

母親の仕事をいつも身近で見ていたので洋裁をやりたいと思うようになる。それを母親に話すと「洋裁を身につけるのは何時でもできる、布を作る勉強をしたらどうか」と勧められる。
浪人生活を経て武蔵野美術短期大学の工芸デザインテキスタイル専攻に進学する。染めも織もやったそうだ。短大なので忙しくて、楽しむ暇も無かった2年間。何も身につかず、物足りなさを感じていた。

カルフォルニアの美大に進学していた高校時代の友人が、いろいろと情報をくれて、留学を意識するようになる。大学卒業目前に母親からも思いがけない提案を受ける。外国留学を考えてはどうかと。母親は資金の工面も約束してくれた。遠い憧れだった海外留学が実現することになる。

大澤さんは高校時代から北欧の建築やテキスタイルに憧れを持っていた。大学生の時に秋葉原のヤマギワで開催された北欧のテキスタイルの特別展に出かけて憧れは更に募った。この展示会では後に師弟関係となるスウェーデンのテキスタイル作家ハンス・クロンダールの作品に出会っている。

短大を卒業して1年後、安いアエロフロートの航空券を手に入れてスウェーデンの地を踏む。最初はストックホルムの専門学校で1年、織物とフリーテキスタイルを学ぶ。その後、イェーテボリ王立工芸大学に入学し、様々な織物を学ぶ。大学院にも進んでいる。ここでヤマギワの特別展で一目惚れしたハンス・クロンダールの指導を受けている。
その当時のスウェーデンでは外国人でも学費は無料だったし、大学では寮に入ることができたので食費を含めて月2、3万円で生活できたという。

修士課程を修了し、帰国した大澤さんはヨーロッパのプリントテキスタイルや織物の輸入販売会社に就職。
最初はデザイン室に配属されて顧客へのサンプル出荷をしながら生地の知識を身につけ、その後ショールームや店舗のスタッフとして注文カーテンの採寸、仕上げ、納品といった経験を積む。
この会社に約4年勤務し、結婚を契機に退職する。

自宅近くに住んでいた輸入糸の販売や織の教室をやっていたフィンランド人と出会う。一緒にやらないかと誘いを受けて、二人で子供や大人を対象とした教室「織スタジオ」を始める。雑誌やNHKでも紹介されるなど賑わったそうだ。その活動は約5年間続いている。

その後「Yukka・TEXTILE design + weaving」を主宰し活動を開始する。
織物作家として作品を制作するとともに、スウェーデンや日本の糸の販売も手掛けている。それに伴い糸の使い方や織技術のアドバイザーとしても活躍する。また、恩師に請われて武蔵野美術大学通信学部教育課程の講師に就いている。

今後は実家のある町田の地に拠点を構え、織物作や織物教室を開催していきたいと考えている。

(インタビュー/文 山本満)