村野千登勢さんは町田市野津田で生まれる。
幼い頃は泣き虫で引っ込み思案。小学3年の国語の授業で、朗読で100点を取ってから、一転、明るく快活な少女に。
それ以降は男子と一緒になってサッカーや野球、木登りで遊ぶことが多かったようだ。中学校ではバドミントン部で活躍する。

英語が好きで、外国語コースが新設されたばかりの八王子市にあった都立松が谷高校に進学する。
松が谷高校時代は英語とバドミントンに集中する。外国人教師から笑いを取ることに命を賭けるようなとてもお茶目な生徒だったようだ。

駒沢大学短期学部英文科に進学する。高校までの英語と違って、学問としての英語は面白くなかったようだ。
その反動だろう、4大のバトミントン部に入部する。村野さん以外ほとんどが男性で、同じ練習メニューをこなしているうちに腹筋が割れるような強靭な体つきに。

英語教師を目指していたので、先ずは海外で英語を学ぼうと考え、留学資金を貯めるため東急ハンズ町田店でアルバイトを始める。
最初に配属されたのは文具フロアの高級万年筆売り場。知識もなく、戸惑ったが、目の前のお客様一人一人に丁寧に接していたら、町田店の人気スタッフの一人となったそうだ。ここで接客の面白さを知る。

留学資金を早く貯めたくて、時給の高い会社を探したら、ユニクロが時給1,000円。当時としては破格だった。採用面接で「重い荷物持てますか」と問われ、腕の力こぶを見せたら、採用担当が笑い出し、直ぐ採用が決まったそうだ。人を笑わせることが好きな村野さんの本領発揮だ。

最初の仕事は倉庫係。力自慢の女性スタッフがいると評判になり、自衛隊や佐川急便からも誘いを受けたそうだ。
ユニクロの仕事はとても面白くやりがいを感じた。パートとして入社した半年後にはパートのまま店長代行に。村野さん23才の時だ。

フリースが爆発的に売れたユニクロブームの頃で、村野さんが入社して1年半で8人だったスタッフは40人に、売上も5倍に。
接客や店舗のマネージメントは勿論のこと、若いスタッフから様々な悩み事を相談された。教師のような母親のような存在として、スタッフに慕われた。

体育教師だった父親に憧れ、教師を目指していたわけだが、ユニクロの店舗スタッフ40人は学校の1教室のようなもの。教えたり育てたりと教師のようなこともやるし、ビジネスも学べる。こんなやりがいのある楽しい仕事はないと思ったそうだ。村野さんは教師以外の道を歩むことになる。

途中でクリニックの受付や不動産の営業も経験するが、ファーストリテイリングに通算23年間勤務する。ユニクロを愛し、ユニクロに愛された職業人生を送った。

その間に結婚、出産、離婚を経験している。
シングルマザーとして、誰にも相談できず、心身が追い詰められるような経験をしてきたので、人の人生を救うような仕事がしたいと思い、45歳の時に「ハートルームちと」を開業する。

「ハートルームちと」に寄せられる相談は様々だが、夫婦関係に関する相談が大半を占める。
村野さんはシングルマザーとして家計を支えてきたので一家の大黒柱としての父親の立場や気持ちが分る。子育てや家事をしながら働いてきたので働くママの立場や気持ちも分る。双方の悩みが理解できる。

カウンセリングでは、先ず双方の不満や困り事を聴く。すれ違っている部分がどこなのかを細かく聴きだしていく。
圧倒的に多いのはコミュニケーションが不足していること。子供が生まれてからは子ども中心の生活になって、お互いに気にかける余裕が無くなり、困りごとを1人で抱えているケースが多い。

次に、今の時代は家庭での男性の役割が増えているのに、男性の意識が追いついていないこと。女性もフルタイムで働くようになっているから、家事や子育ても男女対等が求められる。家事や子育ての役割をどう振り分けるかを一緒に考える。

村野さんのサポートで、離婚を思い止まった夫婦はたくさんいる。相談に来る夫婦の復縁率は90%を超えるそうだ。


(インタビュー・文 山本満)