さるびあ亭かーこ/紙芝居師
(町田市中町在住)

開業:2012年
所在地:町田市中町1−4−2 町田新産業創造センター内

地元で読み聞かせのボランティアを長年やっていた母親の影響もあり、小さな頃から絵本や紙芝居に囲まれて育ちました。大学卒業後は横浜にあったIT企業でプログラマーとして2年間会社勤めをしています。結婚を機に退職して専業主婦になりますが社会との接点が欲しくて、町田の金森図書館で読み聞かせや紙芝居のボランティアを始めます。私の読み聞かせと紙芝居に子供たちは夢中になってくれました。才能があるのかなと思いましたね。

そんな時、伝説の紙芝居師の存在と「プロ紙芝居師養成オーディション」の開催をテレビで知りました。大阪と東京で開催されたオーディションには合計で300人近くの人が集まり、町田文学館だけでも100人を超えていたと思います。私は「人生を大きく変えるチャンス」と意気込みます。町田文学館での選考は紙芝居の定番「黄金バット」の実演でした。そして、希望者30数名が町田の簗田寺で三日間合宿しながら紙芝居の自作と実演で鍛えられます。丁度、長男が重い病で病床に伏していた頃です。

そんなこともネタにしながら懸命にやりました。苦しいこと、悲しいこと、うれしいこと、すべての思いをぶつけましたね。師匠に認められてデビューが決まります。師事して3年間、大阪や京都を中心に全国を渡り歩きました。10台の紙芝居を並べ、14時間連続でやった街頭紙芝居は京都駅前を騒然とさせ、紙芝居の持つ力を目の当たりにして私も興奮しました。

その後、師匠の元を離れ、地元町田で一本立ちします。最初の仕事は千葉松戸のレストランで開かれた企業の食事会でした。オーディションで知り合った仲間が紹介してくれました。ありがたかったですね。地元町田でも最初はなかなか相手にしてくれません。飛び込んで頼み込み、町田の金井フェスティバルに出店することになります。朝から日が暮れるまで、休憩も取らず街頭紙芝居をやり続けました。駄菓子を売るのも忘れるぐらいに。地元に受け入れてもらいたいと必死でしたね。そんな気持ちも伝わったのでしょう、大勢の子供たちが集まり、私の街頭紙芝居は黒山の人だかり。翌日、参加を許してくれた商店街の会長さんにお礼に出向くと、来年も是非やってほしいと。涙が止まらなかったですね。これで町田でやっていけると思った瞬間です。

現在、紙芝居を柱にして3つの仕事をしています。
一つ目がお祭りやイベント会場に出向いてのレトロ自転車紙芝居口演。東京タワー、伊勢神宮おかげ横丁など今までに1,000か所以上で口演してきました。
二つ目がお寺、幼稚園、大学での紙芝居を使った講演会。年間50回ぐらいやっています。母校の桜美林大学、相模女子大学、ロータリークラブでもやりました。
三つ目が企業や団体向けのオリジナル紙芝居の制作と口演です。保険会社の設立記念、地下鉄博物館開館記念などを手がけてきました。

今、沼津仲見世商店街で毎年夏に開催される「ニッポン全国街頭紙芝居大会」に向けて準備中です。第1回で優勝しましたが、毎年、全国の精鋭が集まる大会ですから気合が入ります。ダントツの受賞を目指しています。
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インタビューで早世した息子さんとの病床での会話や出来事を話してくれました。講演会でもその話をよくするそうです。苦しかったこと、悲しかったこと、そんなすべてを飲み込んで人は強く生きていくんだな。そんなことを思ったインタビューになりました。かーこさん、紙芝居の持つ力で世界中のみんなを元気にしてくださいね。
インタビューを終えて(マチノワコーディネータ 山本満)