インタビュー 池尻浩子さん

池尻浩子さん

町田市金森在住

池尻浩子さんの故郷は山口県の徳山市。地元の大手企業に勤める少し気難しい父親と30代半ばで専門学校に通い建築士になった強くて独立心旺盛な母親のもとで育つ。小さな頃から家庭でも学校でも不満を口にすることの少ないしっかり者の優等生。でも、そんな自分に息苦しさを感じていたという。

徳山を出て誰も知らない土地で暮らしたかったので地元の高校を卒業し、大阪の大学に進学する。グラフィックデザインの勉強も考えたが、母親の勧めもあって、就職に繋がりそうな英語科に進んでいる。
大学時代は学業よりも自分の存在価値は何か自問自答する日々だった。だから、明確に数字で評価さる営業の仕事を目指すようになる。社会や会社への貢献が実感できる仕事がしたかったのだろう。

名古屋に本社があった出版社に営業職として就職する。決め手は合同説明会の担当者が素晴らしかったから。この会社の一員として誇らしく働いている様が伝わってきた。この人がいる会社なら大丈夫、間違いないと思ったそうだ。仕事は大学受験の教材や小学生の補助教材の訪問販売。住宅地を一軒一軒訪問して売っていく仕事。池尻さんは初年度から優勝な成績を残している。7年間勤務した同社では、多くの部下を束ねる責任者として営業の最前線で活躍する。

その後、上司が独立して新会社を設立し、請われて創業メンバーの一人として参画する。尊敬していた上司からの誘いだったので一つ返事で引き受けたそうだ。仕事を経験していく中で、どんな仕事をするかではなく、誰とやるかを重視するようになっていた。仲間と力を合わせて成果を産み出すことに喜びを感じた。
新会社はエネルギーコンサルティングの事業からスタートし、学習塾や介護施設と業容を拡大し、池尻さんは人事、広報、新事業開発と重責を担う。どの仕事も面白く、やり甲斐を感じたという。この会社で10年働く。

今は大手デベロッパーに転職し、広告の仕事に就いている。まず、驚いたのが広告費の大きさ。前職とは桁違いで、予算の制約も少なく、いろいろなことにチャレンジできた。でも、何か違う気がした。自分の思い描く仕事のスタイルとは違うと。前職は規模の小さなベンチャー企業だから、少ない予算で仲間と知恵を絞る。そこが面白かった。成功も失敗も目の前で起きる。そんな手触り感がとても恋しい。

仕事に打ち込んできた人生も四十路を過ぎた。今は子供達との時間をもっと大切にしていきたいと思う。起業しようと考え始めている。個人として半分、会社員として半分という道を選ぶかもしれない。

振り返って見ると、「誰かのためにという人生」を私は歩んできました。でもこれからは「自分のための人生」を生きていきたいです。何物にも属していない自分自身を大切にして。池尻さんは最後にこんな風に話してくれました。

ーインタビューを終えてー
今までの人達は「学び」、「働き」、「老後」という一回の人生サイクルを送ってきたが、これからは「学び」、「働く」というサイクルを短い期間で繰り返す社会が到来している。
池尻さんも第二の人生に向けて学び、模索している最中。今後の活躍が楽しみだ。
(インタビュー・文/山本満)