インタビュー 志村雄逸さん

志村雄逸

町田市南大谷在住
有限会社アートマンスタジオ代表

志村雄逸さんは岩手県の花巻市生まれ。中学、高校ともサッカー部で活躍するがデザインや美術も好きだったようだ。
浪人生活を経て、千葉大学工学部工業意匠学科に進学する。平たく言えば工業デザイン学科。モーターショーの空間プロデュースもしていた森先生の研究室に入り、ディスプレイデザインや空間デザインを学ぶ。この研究室の学生は4、5人だったそうで、空間デザインのイロハをマンツーマンで教えてもらった。とても贅沢な環境で勉強ができて有難かったと志村さんは当時を振り返る。昔の国立大学だから実現した環境なのだろう。ここでの勉強が志村さんの職業人生のバックボーンとなっている。卒業後も先生や研究室の仲間との交流は永く続いているそうだ。

卒業してNECデザインセンターに入社する。同社は日本電気(NEC)のデザイン全般を担う子会社でプロダクト、PR媒体、そして空間デザインの部門で構成されていた。志村さんは空間デザイン部門で東京ビックサイトの前身である東京国際見本市会場など各地で開催される展示会や事業所のショールームの企画、設計を数多く手掛ける。たくさん面白い仕事をやらせてもらったが年何回も開催される各地のビジネスショーの仕事やNEC本社や各地の事業所のショールールの制作はとても忙しく、じっくり制作に取り組みたいと考えるようになる。NECに勤務しながら西武が主催するアトリエヌーボーコンペ展に出展するなど個人としても活動をしていたので、もっと個人の制作活動の時間を増やしたかったのだそうだ。そして、10年近く勤務した同社を退職し、ソニーに転職する。

ソニーには会社勤務は週3日、それ以外は個人の創作活動という条件で入社したそうだ。志村さんが入社した1989年は8ミリビデオ「ハンディカム」が発売された年で「ウォークマン」をはじめソニー製品が世界を席巻していた時代。ソニーの絶頂期だったからこそそんな働き方が許されたのだろう。

ソニーでは主にスタジオ音響空間のデザインを手掛ける。ソニー本社の試聴室、本社のモデルルームの音響インテリアデザイン、個人宅のホームシアターと幅広く活躍している。また、関連会社に依頼されてカフェテラスのようなユニークな社員食堂も手掛けている。

個人では小田急新宿駅南口のイルミネーション「新宿サザンライツ」の総合プロデュースや台湾のトヨタ自動車の現地法人国瑞汽車研究開発センターの光のオブジェ、京都池坊会館の水と光をテーマにした動く作品など多くの作品を制作している。特に、反射鏡を使って太陽の光を巨大な吹抜け空間の天井に「龍」を映し出した国瑞汽車研究開発センターの光のオブジェは国内外から高い評価を受けている。構想から1年半の実証実験を経て実現した傑作だ。

また、2004年から多摩美術大学でプロダクトデザインを教え始める。ここでの経験はとても新鮮だった。学生に教えることで、いままで普通にやっていたプロダクトデザインのプロセスを詳細に分解し、可視化することが出来たという。そして、教えることの面白さを覚える。学生との共同作業やディスカッション、相互理解は会社の仕事や作家活動では得られない貴重な体験だった。

22年間勤務したソニーを退職し、昭和女子大学環境デザイン学科の特任教授に就任する。同時に女子美術大学、玉川大学などの講師も務め、2018年からは玉川大学芸術学部の教授として教鞭を取っている。玉川大学時代は町田マルイのショーウィンドウのディスプレイ制作や小田急トラベル、JVCケンウッドに企画提案するなど実践的な授業を行っている。

玉川大学を退官した今は1990年に設立させた有限会社アートマンスタジオを再起動させて空間デザインは元より、デザイナー・造形作家として地域の「ものつくり」やデザイン活動にも貢献して行きたいと思っている。

(インタビュー・文 山本満)