インタビュー 齊藤弥さん

NPO法人アートネットまちだ
町田市在住
齊藤弥さんは1952年に京都西陣に生まれる。小学校3年の時に京都郊外の桂に引っ越している。
銀行勤めの父親の転勤に伴って、小学校4年の時に名古屋、それから大阪千里ニュータウンと引越しを繰り返している。
幼い頃はおとなしく消極的で、はっきりしない子供だったが、小学校、中学校では陸上部に入り、100mと走り幅跳びで大会に入賞するなど結構強かったようだ。
齊藤さんの母親は小中高でかなりの成績を残したスポーツウーマンで有無を言わさず入部させられた。
高校で自分の意志で美術部に入部した時、母親の呪縛から抜け出せたし、思いっきり絵が描けるのが嬉しくてしょうがなかった。
絵は幼い頃から好きで、家でよく絵を描いていたが「絵では飯は食えんぞ」と親父からよく言われていたそうだ。
高校を卒業し、文系の大学を目指すも受験に失敗。「本当は絵が描きたいんだろう」と父親に問われ「そうです」と答え、美術大学を目指すことに。
浪人して多摩美術大学日本画科に合格する。22歳の時だった。大学では国内外で活躍していた堀文子先生に師事している。
卒業後は先輩の紹介で、子ども向け科学雑誌「ニュートンジュニア」の創刊に関わる。ここで8年間、締めきりに追われる多忙な日々を送る。余りにも忙しく、絵を描くことができず退職する。
横浜市の臨時教員として2年間勤務するが、ここでも、バレーボールやラグビーの顧問を任され、絵を描く時間を殆んど作ることができなかった。
原宿にあった東京デザイン専門学校に転職する。イラストレーション科などで専らデッサンを教える。ここでは教えながら創作を続けることができた。65歳まで夜や休日は絵を描きながら勤務する生活が続く。
町田市玉川学園にあった画廊「マチス」のオーナーの紹介で専門学校に勤務していた2007年にポーランドの小さな村で開催される芸術フェスに参加する。村のお祭りの一貫として開催されたもので、日本、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、ベラルーシ、ポーランドなどの芸術家が集められ3週間滞在し、作品を制作するというもの。
詳しく内容を聞いていなかった齊藤さんは到着早々に30号のキャンパスを渡されて、戸惑ったそうだ。
ポーランドの片田舎では東洋人はとても珍しく、極東アジアの日本からやってきた日本画家の齊藤さんは大人気だったようだ。
これが縁で、2013年から2019年の7年間、日本のJICAが資金援助して設立されたポーランド日本情報工科大学で特別授業を担当し、日本画や日本の美術史を教えている。
専門学校を退職してからは地域でアートの普及活動を続けている。主な活動の拠点はNPO法人アートネットまちだ。アート好きな町田市民が、公民館の市民企画講座を受講したことをきっかけに結成されたNPO法人で、街にあるアート作品を巡るパブリックアートツアーや里山散策、展示企画などの活動をしている。多くの市民にアートに触れることで豊かな生活を送ってもらいたいと思っている。
今後はワークショップなどを開催して「作る楽しみ」を感じてもらいたい。また、町田で和紙づくりができないかと現在模索中。アート好きな人だけでなく、そうでない人にも広げていきたい。
齊藤さんにとってポーランドの体験は印象深く、町田の地で廃校を利用したアートレジデンスをやってみたいと思っている。
(インタビュー・文/山本)