インタビュー 福本圭子さん
福本圭子さんは町田市能ヶ谷に生まれ地元の小中学校、高校で学ぶ。
家業は工務店。住まいと事務所が同じ場所で庭が作業場だったので、福本さんは大工や職人達に囲まれて育つ。小さな頃から10時と3時のお茶係、一緒に茶飲み話をしたり、鉋掛けの様子を眺めていたそうだ。木材や建築、物づくりがいつも身近にある暮らしだった。
小学校の学芸会で太宰治の「走れメロス」を演じ、中学校では演劇部に入り芝居に挑戦する。高校では、一度はやってみたかったバレーボール部に入る。本人曰く「万年補欠」だったそうだが一心に練習に励みやり遂げる。
高校では美術の教師に大きな影響を受ける。授業で描いた室内写生の絵を褒められ、何となく自分自身の中にあった建物や住居、インテリアへの興味に確信を持つようになる。
東京芸大の建築学科に挑戦するも叶わず、多摩美術大学造形学部建築学科に進む。女流建築家を夢見て入学するが、なぜか大学ではフラメンコに夢中になる。フラメンコ部に所属し、練習そしてステージと飛び回る学生生活。芸術祭でタブラオ(フラメンコ用の舞台が備えられたバル)を模した小屋を作ったことも。
漠然とフラメンコの道に進もうと考えていたが、父親の強いすすめもあり都内の建築金物メーカーに就職する。販促企画室で営業、商品開発、デザインに携わる。4年間勤務したが社内の人間関係に疲れ退職し、スペインのセビージャにフラメンコ修行に出かける。スペインではフラメンコにどっぷり浸かる生活を送りながら、人々が住居やインテリアをとても大切にし、心豊かに暮らしている姿を目のあたりにする。とても触発されたようだ。
帰国後、アルバイトをしながら、八王子にあった「カルメン」に出演するなどフラメンコを続けていたが生活は苦しくなる一方。インテリアの専門学校に通いながらインテリアデザイン事務所でアシスタントとして働き始める。再度のスペイン留学を経て、以前から誘いを受けていた別のインテリアデザイン事務所に移り、インテリアコーディネーターとして経験を積んでいく。
両親の勧めもあり実家の建設会社を手伝うようになる。ここで現場監督の仕事も経験する。5年勤め、出産を契機に退社し起業する。実家も自営業だったので起業することに不安は無かったそうだ。子育てのために、時間の制約が大きい会社員ではなく、自由が利く独立を選んだ。
産後間もなく、薄い睡眠の中、夜泣きのわが子に疲れ、逃げ出したいと感じるようになる。子育ては母親が一手に担うことが当たり前で、それができないと母親失格だという罪悪感と自己否定に苛まされノイローゼのような状態になる。そんな時、家庭的保育の先生と出会う。
自宅を開放し少人数の子供たちを預かる施設を運営していた。新米ママにとって、身近に保育のプロがいることは心強かったし、母親となるべく導いてくれる先生でもあった。室内に自然素材を使い、食育に力を入れ、子供たち一人ひとりと向き合い、余裕を感じさせてくれる空間だった。
地域の人々と協力しながら子育てをすること、社会活動を通して母親自身が肯定感を持って生きて行くことが大切だと気づかされた。今後、この気づきを住まいや間取りとの関係に結びつけてセミナーを開催し、同じ境遇の母親や家族の問題解決につなげていければと考えている。
2018年に創業した株式会社ディセノはマンションや戸建住宅のリノベーションが得意。その強みはインテリアデザイナーであり建築士でもある福本さんがデザイン、設計、工事施工までを一貫してやれること。また、子育てを経験した女性として主婦目線の提案ができるのも強みだ。今は公共事業の施工管理もやっているが、住宅のリノベーションの仕事を拡大していきたいと考えている。今年の秋には建設会社に勤務するご主人も合流する予定になっている。
住まいは人柄がにじみ出ると考える福本さんの将来の夢は、中古マンションを購入し経営すること。それぞれの部屋に最新のインテリアを施し、寝るためだけの空間ではなく、住まい手の趣向や生活をエンジョイする遊び心のある住空間を提供していきたいと考えている。住まいは、自分を開放でき、精気を養ってくれる唯一無二の居場所なのだから。
コロナ禍、自宅で過ごす時間が増え、家具やインテリアにみんなの関心が集まっている今こそ、ディセノが活躍する好機だと思っている。
(インタビュー・文:山本満)