インタビュー 近藤しずかインゲボルグさん

近藤しずかインゲボルグ

(町田市在住)

動画クリエーター

日本で生まれた父とブラジルで生まれた母。
海上自衛隊の父親が寄港したブラジルの港「レシフェ」で出会い、一目ぼれ。2年間の文通を経て、日本で結婚し、4人の子供に恵まれる。

インゲボルグさんは4人兄弟の長女として海老名市で生まれた。育ったのは横浜市の緑区。
勉強は苦手だったが、小さなころから音楽は好きだった。
混血なのでイジメられた。だから、地味に目立たぬように心がけていたそうだ。

インゲボルグさんが高校1年の時に父親が経営していた会社が行き詰まり、生活は困窮する。電気や水道が止まることもしばしばあったようだ。
生活が困窮していく中、インゲボルグさんの学校生活も荒れ、事件を起こして退学する。チョットした不良少女だったようだ。

その後、別の高校に入学し、卒業しているが、家計を支えるためにバイトに明け暮れた。飲食店の仕事を終えると夜のキャバクラ、週末にはガソリンスタンドの店頭にも立った。20才の時には同棲も経験する。荒んでいた実家には帰りたくなかったのだ。

23歳の時に両親が離婚。間もなく母親は病魔に倒れ、介護するためインゲボルグさんは仕事を辞め、実家に戻っている。家計は二人の兄が支えてくれた。家族で助け合い、支えた母親は54才の若さで生涯を閉じている。

葬儀のためにブラジルから来日した叔母に誘われて、母の母国ブラジルの地を踏む。空港では11人いる母親の兄弟が迎えてくれた。叔父、叔母の顔を見ていると母の面影が蘇り、涙が止まらなかった。

29歳の時、知人のパーティーで出会ったナイスガイと結婚する。電気工事士をする夫は仕事もできるし、素直で優しい人。「電気や水道が止まらない」穏やかな安定した暮らしが始まる。過酷な子ども時代を過ごしてきたので、子育てに自信が持てず、出産に踏み切れずにいたが、夫に望まれ30歳で出産。今ではかけがえのない大切な存在だ。

子育てが落ち着いてきた頃に「動画」に出会う。自身が関わる地域活動やボランティア活動をPRするために、見よう見まねで動画を制作した。その動画が評判になり、身近な人から動画制作の依頼が殺到する。

また、何気なく自作したショート動画がバズり、そのショート動画を見たユーザーから作り方を教えて欲しいとの問い合わせがビックリするほど寄せられる。

1年間かけて教材を開発し、2023年1月に「初級動画制作講座」をスタートさせる。受講生は22名と順調なスタートを切る。インゲボルグは動画を作ることも好きだし、教えることも好きだ。受講生の喜ぶ顔や、成長していく姿を見るのがとてもうれしく、遣り甲斐を感じる。

これから「中級講座」「上級講座」の開発に取組む予定だ。また、受講した人達とチームを組んで、動画制作の会社を作ることが夢だという。

不良少女だった自分。成功体験も無く自己肯定感がとび抜けて低かった自分。
そんな自分に自信を付けてくれたのが「動画」の世界。動画は自己表現できる喜びを与えてくれた。また、教えることの楽しさも与えてくれた。そして、経済的な自立の道も開いてくれた。感謝しても尽きない。

「動画制作のスキルを多くの人達に伝え、動画を使って自己表現できる喜びを分ちあいたい」とインゲボルグさんは話してくれました。

(インタビュー・文 山本満)