インタビュー 犬飼剛亮さん
犬飼剛亮さん(町田市藤の台在住)
ファンクションファミリー
犬飼剛亮さんは練馬で生まれ、1歳半で町田の山崎団地に引っ越し、忠生第六小学校、本町田中学校、町田高校と地元っ子人生を歩んできた。
幼い頃からサッカーが好きで、小学校、中学校ではクラブチームでサッカー漬けの生活を送る。今でもサッカーを見るのは大好きだ。
町田高校でもサッカー部に入部するがストリートダンスに夢中になる。小学校の時にテレビで観たヒップホップダンスやブレイクダンスはとても魅力的で、いつかはやってみたいと思っていたそうだ。高校に入学して間もない頃、中学生時代の学習塾仲間がダンスをやっていることを聞きつけ、ストーカーのように追いかけては一緒にダンスをするようになる。町田高校には定時制があったので部活が午後5時半までに制限され、夕方から思いっきりダンスができた。駐車場や閉店したスーパーのガラスの前で仲間とよく踊ったものだ。
犬飼さんは高校を卒業しITの専門学校に進む。大学進学志望率の高い町田高校では相当珍しい存在だったらしい。とにかくダンスがしたい犬飼さんはダンスのための自由な時間が欲しかったのだろう。専門学校時代は上手くなりたいと思う気持ちが強くなって、仲間数名で毎晩のように踊った。発表の場で認められたいという意識も強く、当時から権威があったダンスコンテストの「DANCE DELIGHT」にも挑戦したそうだ。
専門学校卒業後もフリーターをしながらダンスを続けた。とにかくダンスを続けたかった。日中はアルバイトで稼いで、夜や週末はダンスという生活が数年続く。
初めてダンススタジオでレッスンを受け持ったのが23歳の時。友人が伊勢原のスタジオを紹介してくれた。生徒は大人から子供まで10人くらい。アルバイトとダンスインストラクター業の掛け持ちという生活が2年くらい続く。
町田高校の友人とダンスをテーマに起業を目指した時期もあった。様々なジャンルのダンスを紹介するDVDを制作したり、関連のイベントを企画したこともあった。
2003年に友人3人と山崎団地の集会場を借りてダンスサークルをスタートさせる。その後、木曽森野コミュニティセンターと活動の場を広げていく。生徒1人からスタートしたダンスサークルも少しずつ生徒を増やしていったが、個人で川崎や厚木のダンススタジオでも教えていたそうだ。
2012年にダンススタジオをオープンさせる。小田急町田駅に近いビルの二階。そこから紆余曲折を経て小田急線町田駅の第二踏切近くのビルに移っている。ダンスサークルは今でも続き、今年20周年を迎えている。
また、ダンスコンテストの企画運営にも力を入れている。2003年から5年間、町田市の成人式「二十祭まちだ」の実行委員としてダンスコンテストもやってきた。2008年には「町田おどり場建設」を設立し、独自にダンスコンテストを開催している。当初は町田、相模原で始めたダンスコンテストも今年は長野、仙台、大阪でも開催予定と活動の場を広げている。毎年各地で開催される予選会には小学生から社会人まで参加しているという。決勝大会は100チームが集結し、モウレツに盛り上がるそうだ。
犬飼さんの活動は全国に広がっているが、最近は、故郷・町田をこれまで以上に強く意識するようになってきた。元々市内の小学校や中学校に出向いてダンスを教えたり、長年小川高校のダンス部コーチを務めている。町田が好きで、ずっと町田に住みたい。町田を元気にしたい。町田をストリートカルチャーが根付いたエンターテインメントの街にしたい!そんな想いを抱いている。