やつづか えりさんが生まれたところは埼玉県比企郡滑川町。父親の転勤と共に滑川、東京 府中市 、大分と転居を繰り返し、高校1年生の時に両親の故郷広島に移っている。演劇好きだった母親に連れられて小さな頃からお芝居を見ていたこともあり、府中の中学校では創部間もない演劇部で活動する。幼い時見たお芝居で印象に残っているのは「赤毛のアン」。上演後のロビーで見た役者さんの顔に描かれた大きなソバカスにビックリしたのを覚えているそうだ。高校でも入部を考えたがその演劇部があまりにも体育系だったので体験入部で終わり、社会問題研究部に入り、被爆体験の聞き書きなどに取り組んだそうだ。思い出に残る先生は高校2年、3年のクラスの担任だった倫理・政経の三船先生。教科書はほとんど使わず自分の体験を交えて話してくれる哲学の話は面白くハマったそうだ。その影響もあり、大学では倫理・哲学のゼミに入っている。
ここでの勉強も面白く、チョットだけ研究者の道も考えたそうだが、そこまでの覚悟を持てず就職の道を選び、文具やオフィス家具のコクヨに入社する。最初の配属は情報システム部で会計システムの運用を担当。ITとは無縁だったが論理的な思考を要求されるという点ではITも大学で学んだ倫理学も共通するものがあって、意外と面白かったようだ。翌年に社内のITシステムの大改造のプロジェクトに参画。その後、社内ベンチャーとして設立された新会社に志願し出向している。この会社はコクヨ製品のWeb発注システムを運用する会社。ここでWebデザインの面白さに魅入られる。そして、Webデザインが本格的にできる会社への転職を考えるようになる。文具やオフィス家具のデザイン・製造そして営業が会社の本流で自分の職場は傍流だという思いも転職をあと押ししたようだ。
ベネッセコーポレーションに転職し、企業文化の違いにビックリする。コクヨは上下関係が厳しい男社会。男子は期待され厳しく鍛えられるが、女性はまだ寿(ことぶき)退社が珍しくないような社風だったのに比べ、ベネッセは女性と男性の比率は6対4で女性の方が多く、女性の管理職がバリバリ働いていた。直属の上司も女性だったそうで、学校の部活動の部長のように人心掌握し、部下をぐいぐい引っ張っていく様子にビックリしたそうだ。ここでやつづかさんは中学生向けのWebサイトの制作やデジタルサービス開発に携わる。Webの仕事を極めたいという気持ちが強かったが、そろそろ管理職という年齢を迎え、この会社で管理職になればWebとは無縁な職場へ配属される可能性が高い。また、猛烈に働き、スピード感も半端でない社風についていけないとも感じていた。そんな思いも重なり2社で11年間の会社員生活に区切りをつけてフリーランスとして働く道を選ぶことになる。
Webのスペシャリストとしてはスキルや知識が足りないと感じていたので退職と同時にデジタルハリウッドに入学し、1年間Web制作を学ぶ。卒業後はベネッセの経験も活かし教育系Webの仕事を目指すもなかなか難しく、ベネッセの仕事を手伝ったり、知人の紹介で飲食店のWeb制作、大手企業のWebサイト立上げの企画などに関わっている。そうした活動と並行して、やつづかさんのライフワークとなっている組織人の新しい働き方、暮らし方を紹介するWebマガジン「My Desk&Team」を2015年1月にスタートさせている。このウェブマガジンを創ったきかっけは東京に本社がある企業のスタッフが兵庫県の自然豊かな町に住みながら遠隔で仕事をする様子をブログで発見したこと。会社に属していても様々な働き方があること、もっと自由にできるということを知ってもらいたかったからだそうだ。そして、「My Desk&Team」を見た人から声がかかり、女性の多様な暮らしと働き方を紹介するメディア「くらしと仕事」の初代編集長として活躍する。
Webのスペシャリストを目指してフリーランスになった訳だが「My Desk&Team」や「くらしと仕事」を契機に働き方ライターとして活動するようになる。今、働き方ライターとしての発表媒体は三つ。一つ目がWebメディア。二つ目が事業会社のメディア。三つ目がYahoo!ニュース。それ以外にも書籍の出版やセミナー講師としても活躍している。今年4月には新しい働き方を紹介する『本気で社員を幸せにする会社 「あたらしい働き方」12のお手本』を出版している。「働き方」を主軸のテーマとしながらも今後は「新しい組織の形」や「教育」の分野へと幅を広げていきたいと考えている。
(インタビュー・文 / マチノワ 山本満)