インタビュー 石川智也さん
石川智也(横浜市在住)
石川智也さんは1992年に栃木県大平町で生まれる。
小学校、中学校ともに軟式野球部。高校は文武両道の進学校だった佐野高校に進み、ここでラグビーに出会う。ラグビーに夢中になるが、早朝から自習室に通うなど勉強も怠らなかったようだ。チームは結構強かったが、栃木県には国学院栃木という強豪校があって、石川さんは卒業まで万年2位に甘んじ、花園には行っていない。
高校入学当初は数学の教師を目指していたが、ラグビーに出会ったことで体育教師を目指すようになり、日本体育大学に進学する。
当然、大学ではラクビー部も考えたが、クラブ活動に多額の費用が必要なこともあり、比較的費用がかからないタッチラグビー部に入部する。競技人口が少なく、直ぐにでも日本代表になれると勧誘され、心が動いたようだ。実際に、大学1年生の時に日本代表に選ばれ、ニュージーランドで開催された大会に出場している。
その後も大学在学中に、オーストラリアやニュージーランドで開催された国際大会に数多く出場し活躍している。
もっと世界で活躍したい、もっとタッチラグビーを日本で普及させたいとの思いが募り、タッチラグビーの強豪国オーストラリアへの留学を決意する。大学を卒業した2015年の5月にオーストラリアに渡り、シドニーの「カンタベリーブルドッグス」というクラブチームに加入する。
ここで2年間、タッチラグビー漬けの生活を送る。生来持っていた運動センスもあったのだろう、2軍でMVPを獲得し、1年を待たず1軍に上がり活躍する。この地でタッチラグビーの最新の戦術やスキルを身に付ける。
教師を目指していた石川さんだったが、日本やオーストラリアのタッチラグビー仲間と接する中で別の道もあると思うようになっていったという。
2年間の留学を終え帰国し、知人の紹介でITエンジニアニング会社の営業職に就く。
この会社に勤務していた時もタッチラグビーは続けていて、2019年に開催されたワールドカップではチームの主軸として銅メダル獲得に貢献している。オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカというタッチラグビー強豪国の一角を崩した大金星だったそうだ。
3年間勤務した会社を退職して、上達屋に入社する。上達屋は手塚一志氏が主宰するスポーツ選手のパフォーマンス向上をサポートする会社。
教える仕事がしたい、スポーツに関わる仕事がしたいと以前から思っていたので、知人から上達屋を紹介された時は、これだ!と思ったそうだ。
上達屋のノウハウの基本は骨盤。骨盤を正しく操ることができれば全てのパフォーマンスが向上する。骨盤の動かし方を学べば、野球の投球も打撃も、サッカーも全て上達するというもの。上達屋で指導を受けたプロ野球選手が大活躍するなど多くの実績を積んでいる。
今、石川さんはこの上達屋でパフォーマンス・コーディネーター(身体技能調律師)として活動している。顧客は2歳から90歳のシニアまで。野球、ラグビー、陸上、テニス、ゴルフと種目は多岐にわたる。「投球スピードが速くなった」、「早く走れるようになった」、「ゴルフの飛距離が伸びた」という成果が目前に現れるとてもやりがいのある仕事だという。
石川さんは2019年のワールドカップを終えてから、自身がオーナーとなってタッチラグビーチームを立ち上げている。チーム名は「タッチブルドッグス」。自分を成長させてくれたシドニーの「カンタベリーブルドッグス」に因んだ名前だ。このチームは創設4年目で全国大会を制するまでに急成長している。2024年にイングランドで開催されるワールドカップではこのチームのメンバーが数多く活躍することになる。
また、このチームの下部組織として中学生を対象にしたジュニアチームを立ち上げようと計画している。日本には中学生を対象としたチームが無く、今後タッチラグビーを日本で普及させるためには不可欠だと考えるからだ。
石川さん自身は2024年にイングランドで開催されるワールドカップにオーバー30のカテゴリーでの出場を目指している。
マイナースポーツであるタッチラグビーを日本に根付かせるための石川さんの活動は今後も続く。期待したい。
(インタビュー・文/山本満)