インタビュー 金城美由紀さん

金城美由紀(町田市在住)

きんじょの本棚

金城美由紀さんは川崎市の等々力で生まれる。幼い頃は友達たちと一緒に遊ぶというより、一人で池でザリガニと遊んだり、木に登るのが好きな少女だった。

小学生の時にバイオリン教室に通う。順天堂大学の陸上部で活躍し、箱根駅伝にも出場した父親はトランペットも演奏する大の音楽好き。その父親の影響もあったようだ。

中学校では剣道部、高校ではチアリーダー部で活躍する。チアリーダーを日本に最初に持ち込んだ教師がクラスの副担任だったこともあり、金城さんはその教師と共にチアリーダー部を立ち上げる。高校3年間はチアリーダ―一色の生活を送っている。英語やアメリカ文化に憧れていた金城さんにとってチアリーダ―は何事にも代えがたいものだった。

大学の英文科を目指したが受験に失敗し、家の近くにあった会社に就職する。進学は諦めていなかったので、働きながら受験勉強しようと考えたようだ。会社は小さな建築設計事務所。ある時、事務所の先輩から東京理科大学建築学科(二部)に社会人枠で受験するよう勧められ合格する。金城さんは大学を8年かけて卒業し、その間に結婚し、子供にも恵まれる。

大学在籍中に建築設計事務所を退職し、ゼミの教授の紹介でまちづくりに先進的に取り組んでいた世田谷区の第三セクターでアルバイトをした。また、美術館などの文化施設の運営やイベントを手掛けていた会社では鉄道の高架下に作られた施設のイベントをほぼ一人で企画運営したこともあった。
その後、夫の転勤に伴い、沖縄、四国、静岡を経て2000年に町田の薬師池公園の近くに居を構えている。

高校を卒業する頃から、本をよく読むようになる。「レ・ミゼラブル」、「嵐が丘」、「レッベカ」、「モンテ・クリスト伯」といった西洋純文学が好きだった。

金城さんは本を読む人が好きだった。何を読んでいるのか知りたくて、親しい人にはよく尋ねたし、同じ本を読んだそうだ。本を通じて強く繋がっているという感覚が好きだったという。

勤務先での人間関係に悩み、それを忘れるために本に没頭したこともある。その時に読んだ本が古内一絵「マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ」。現代社会に疲れた人達が隠れ家カフェで体に優しい夜食と店主の言葉に癒されていく物語。勇気づけられ、明日も頑張ろうと前を向かせてもらった。

本のことを語りあえる場所が欲しいと常々考えていた。そんなことを帰宅する車中で考えている時に立ち寄ったのが町田市金森にある「ONSO COFFEE」。店主に想いを告げると快諾。カフェの一角に本棚を置かせてもらって、好きな本を並べた。

更に4カ所ぐらいあれば回遊できると考え、友人の工務店、馴染の美容院に声を掛ける。「本を何処で借りてもいい、何処で返してもいい」という仕組みを考えた。街全体が図書館になる「きんじょの本棚」の誕生である。

丁度、コロナ禍で図書館も書店も閉まっていたので、多くの人達から支持され、きんじょの本棚は拡大していく。 ユニークな取組みとしてタウン誌やTVでも紹介され、町田で始まった活動は全国に広がる。

今では町田を中心にして200カ所にきんじょの本棚がある。この活動を多くの人に知ってもらいたいと町田の野津田薬師堂の境内で「きんじょの本棚まつり」を開催したり、各店主のお薦め本の紹介も載っているMAPも制作した。「きんじょの本棚まつり」を契機に店主達の交流も始まっているという。

本と本を読む人が大好きな金城さんが考えた「きんじょの本棚」という活動が街に大きなインパクトを与えようとしている。

(インタビュー・文 山本満)