インタビュー 田之上亜季さん
田之上亜季さんは宮城県塩釜市生まれ。小学校、中学校、高校とも地元。
小学生の時は出来の悪い生徒で、漢字テストゼロ点の連続記録を作って母親を悩ませたらしい。
でも身体を動かすことは好きだった。中学、高校ともバスケットボール部で活躍し、部長や副部長としてチームを牽引する。
仙台市にある短期大学に進学する。ホテルや結婚式場のスタッフを養成する学部に進んだが、馴染めず、その道には進んでいない。
卒業後はドトールコーヒーでアルバイト。勤務していた宮城県庁内にあった店舗で東日本大震災を経験する。自身も家族も無事だったが、これからの人生を改めて考えるようになる。明日、命を奪われるかもしれない。好きなことをして生きていきたいと思った。
田之上さんは幼い頃から映画やミュージカルが好き。大ヒットした映画「るろうに剣心」はとても好きで、心に残っていた。ネットで「るろうに剣心」の操演部の頭として参加していた遠藤剛さんの存在を知る。早速連絡してみると都内の撮影現場で会うことに。その場で「るろうに剣心」の続編に助手として参加することを勧められる。田之上さんの行動力が大きなチャンスを引き寄せた訳だ。
半年間におよぶ過酷な撮影現場で貴重な経験を積む。田之上さんの仕事は専らスモーク係。スモークの装置を抱えては現場を駆けずり回る。半年間の撮影が終わると、充実感はあったが、疲れ果てていた。
この仕事を終え、映画の世界に行くか、舞台の世界に行くか悩んだが、中学生のときに観たライオンキングの感動は忘れ難く、劇団四季の門を叩く。一度は断られるが1年後に再受験し、舞台監督助手として採用される。浪人中は都内のケータリング会社で食いつないでいたようだ。
劇団四季では「ライオンキング」と「オペラ座の怪人」の裏方として活躍する。仕事は舞台の照明や大道具などの重たい装置を扱う重労働。1つの舞台を10人ぐらいの監督助手が回すのだそうだ。
劇団四季を3年で退団する。最後の舞台は「オペラ座の怪人」の地方公演。
体を動かすことが好きで、音楽が好きな田之上さん。楽しかったし、いつまでも続けたかったが、出産のために退団を決意する。地方公演が続く厳しい仕事。ここでの出産、子育ては無理だと考えた。
2018年に一子を出産、二人目を2020年に出産している。出産、子育てに追われた3年間は主婦業に専念していたが、それだけでは物足りなかった。
ネットで動画編集の基礎を学び、仕事サイト「ココナラ」を介して仕事を請負うようになる。元々エンターテインメント好きだったので、上手くいったようだ。
親しい友人と話しているうちに、もう一度、エンターテインメントの世界に戻りたいと強く思うようになる。今度は劇団に所属するのではなく、自分達のミュージカル劇団でオリジナルミュージカルを創りたいと。
無名塾出身で女優として活躍する妹の髙橋真悠さんと一緒に「アマタメ企画」を立ち上げる。「アマタメ」はアマチュアとエンタメを掛け合わせた造語。この活動には劇団四季で活躍したダンサーも参加している。
去年からミュージカルダンスのワークショップを始めた。更にステップアップし、町田でオリジナルミュージカルを開催することが当面の目標だ。
二人の夢が叶い、心温まる町田発のオリジナルミュージカルが上演されるのがとても待ち遠しい。
(インタビュー・文 山本満)