インタビュー 佐々木美都樹さん


町田市在住

言語聴覚士

ことばの相談室「Hopal」

佐々木美都樹さんは福島県南相馬生まれ。大人しくて勉強好きな子どもだった。
小学校の時は合唱部、中学校、高校では吹奏楽部に入ってクラリネットを。県大会や東北大会にも出場している。

地元南相馬を出て、神奈川県相模原市にある北里大学医療衛生学部に進学する。全国でも数少ない言語聴覚士を育てる言語聴覚療法学専攻があった。

高校の吹奏楽部の友人の中に話し方が不明瞭な人がいた。その友人とはことばを交わし、理解しあうことが難しく、普段何気なく使っている「ことば」の重要性に気づかされる。人はことばによって互いの気持ちや考えを伝え、理解し合っているということに改めて気づいた訳だ。

薬剤師だった母親にその話をすると、言語聴覚士という仕事があることを教えられ、それが北里大学への進学に繋がっていく。

人は脳梗塞や脳出血などの病気、交通事故、発達上の問題でことばを失ったり、上手く話せなくなる。言語聴覚士はその状態を見定め、ことばを取り戻すための訓練を行なう。また、耳の聴こえが悪い人や摂食障がいや嚥下障がいを持った人も扱う。言語聴覚士の受け持つ領域はかなり広い。

国家資格になって日も浅いこともあり有資格者は全国で4万人余り。社会の中で重要な役割を担っているが、世間に余り知られていない職業だ。

佐々木さんは大学を卒業し、八王子にある病院の外来担当として働き始める。患者さんは脳梗塞などを発症した人、パーキンソン病など難病の人、交通事故で頭を打った人など様々。年齢も20代から70代と幅広かった。

例えば、パーキンソン病の人は、だんだん筋肉が動かなくなってしまうので、口の動きが小さくなって、ことばも小さくなる。そうするとコミュニケーションも難しくなるし、食事も取れなくなってくる。大きく声を出す、大きく口を動かす訓練を繰り返すのだそうだ。
同病院では外来患者を担当しながら高齢者の訪問リハビリも担当していた。

佐々木さんは29歳で出産する。息子さんがハンディキャップを持ち、医療的ケアが必要で、フルタイムで働けないため、同じ法人が運営する老人施設に移る。主に高齢者が入院している病院だった。

お昼の1、2時間だけの勤務で、患者の食事の様子をチェックし、こういうところが危なそうだから、こういう風に食事を変えた方がいいといった助言する仕事に就いた。ここで半年ぐらい勤務する。

息子さんが世話になっていた町田市にあるハンディキャップを持った子ども向けの訪問看護事業所から誘いを受ける。子ども向けの訪問リハビリをやって欲しいと。

息子さんの事もあり、高齢者よりも子ども達の面倒を看たいとの思いが強く、この事業所で1日に2、3時間といったペースで働くことになる。

同事業所で子どもの訪問リハビリを続けていくうちに、もう少し幅広く活動したいと思うようになる。
ここでは支援できる子どもが近隣の子供達に限られるし、現行の医療制度の中ではやれることも限られている。制度の枠を超えて、子どもの支援をもっと幅広くにやってみたいと考え、個人事業主として開業する。

同事業所での勤務を続けながら、両親がフルタイムで働いている家庭向けの週末訪問リハビリやスヌーズレンの普及活動、WEBサイトを使ったハンディキャップを持った子どもの発達相談を始めている。

また、ハンディキャップを持つ子の母として、子供も母親も納得して訓練が進められるようなメソッドを開発することも考えている。

言語聴覚士になって12年。もっと出来ることがあるのではないか。改めて考えを巡らしている。言語聴覚士が持つ知識や経験は社会にもっと役立つはずだと思っているから。

(インタビュー・文/山本満)