
ASADAさんは1971年に神奈川県横浜市に生まれる。小、中、高は地元。
中学校で陸上部、高校では水泳部。運動三昧、超体育会系だったようだ。
小さな頃から工作が好きだった。
高校二年生のころ、若い美術の先生から教えら、美大を目指して予備校に通い始める。
美大予備校は時代的に厳しい講師が多くて、かなり鍛えられたようだ。
現役で東京造形大学の彫刻科に進学する。両親からは現役合格を厳命されていたという。1年生の時はちゃんと学校へ行き、2年、3年は昼夜逆転でバイトと飲みに明け暮れる。作品制作はほとんどしていなかったようだ。
4年の春、高尾にあった旧校舎を自由に使える企画展があり、ASADAさんは通い慣れた1階売店跡を目一杯使った作品に挑んだ。4年の時はこの展示に始まり、文化祭、卒業展と作品づくりに没頭する。
卒業後1年間はフリーター。その後、看板屋さんの社員となる。イベントやシンポジュームの案内看板を描いていた。
仕事の合間をぬって、JACAやアーバナート等の公募展に応募している。
ご両親が病気となり、4年で看板屋を退職し、介護の仕事に就く。介護福祉士の国家資格も取得。
資格も取得し、いつでも介護の仕事に復帰できる条件が整ったので、介護の仕事を辞めてアートに専念することに。3年間、アートだけをやってみようと決心した。
その頃、グラフィックアート「ひとつぼ展」グランプリ受賞、「ホルペイン・スカラーシップ」奨学生、資生堂「ADSP」入選と成果を出している。
36才の時に出産。二人の子どもを育てながら作品制作を続ける。
50才の時、狩猟の世界に飛び込む。
元々、体を動かすことが好きで、キャンプや登山はよくやっていた。それにもの足りなさを感じていた時、中学の同級生から狩猟を勧められる。一年目は仲間の狩猟を見ているだけだった。そして二年目で最初に打った弾が命中し、鹿を射止めた。
ASADAさんは有害駆除で捕獲される野生鳥獣の大多数は肉も革も利用されずに処理されているという現実に違和感を感じ、自身も狩猟に関わり命をいただく以上、何かしらもっと命を有効に活用したいと考えた。
そこでASADAさんは知人と共同して解体処理施設と販売所を南伊豆町に開設する。
現在は旅館業と飲食業の許可も得て、ジビエBBQのイベント等も開催している。
今では週の半分はこの施設で働き、半分は自宅に戻り、作品制作。
ASADAさんは、狩猟という世界に入った今、アート作品にそれを取り入れていきたいと考えている。
最後にASADAさんにアートに取組む心持を聞いてみました。
「想像か現実かとか区別が難しい現代社会において一番リアルに感じられる自分自身を主たる素材とし、その他多種の素材と手段により、ジェンダーや愛や暴力等についてこれでいいのか?どうなったらいいのか?などを作品として表現しながら考えています。」
(インタビュー・文 / 山本満)

