武政祐(横須賀市在住)

NPO法人アスリード

武政祐さんは横浜市生まれ。地元の小学校、中学校、高校に通う。中学校では吹奏楽部に所属しテナーサックスを吹いていた。中学卒業と同時にバイトを始め、高校1年の秋には中型バイクの免許を取り、ローンを組んでバイクを購入している。そのバイクで彼女や友人を乗せてあちこちにツーリングに出かけていた。そんな具合だったので成績は下位を低迷。大学進学を考えないわけではなかったが、何となく就職を考え始めていた。そんな時に事件が起きる。国語の授業中に手持ち無沙汰に折り紙を折っていると教師から𠮟責される。教師といろいろなやりとりがあり、勢い余って教室全員の前で青山学院大学への進学を宣言する。進学できたら先生が土下座といった啖呵も切ったという。高校3年の夏のことだ。それから予備校に通い進学を目指すも青学には届かず家の近くにあった関東学院大学に進学する。
目標としていた青山学院大学への入学が果たせずテンションは下がり、もやもやした生活を過ごしていた大学2年生の時、自宅で父親とゆっくり酒を飲む機会があった。父親は小さな会社を経営していたが資金繰りに苦労している話を聞き、父親の役に立ちたいと会社経営や起業に興味を持ち、大学で中小企業論を受講する。そこに講師として来ていたさがみはら産業創造センターの社員から同社の子ども向けの起業家教育プログラム「子どもアントレ」を紹介され、子ども達を教えるインターンシップ生として参加。大学3年の春のことだ。そのインターンシップは参加者に大きな裁量が与えられていて、大学生活では味わうことができない醍醐味を感じたという。そこから武政さんの生活は大きく変わり、役に立つと思えば経営書も読んだし経営者の交流会にも参加した。半年間のインターンシップが終了した時には大きな達成感に満たされ、感極まったのを覚えているそうだ。
大学を卒業し、大手事務機器商社に就職する。ここは猛烈な営業で知られたところ、入社早々営業エリアを与えられしらみつぶしの営業が始まる。1年目から営業成績を上げて新人敢闘賞ももらっている。しかし仕事に面白さややりがいを感じることは無かったという。そして、2年目が終わろうとする頃から体調を壊し3年で同社を退職する。その後、インターンシップでお世話になったさがみはら産業創造センターに任期のスタッフとして採用され、大学生の就職支援などを手掛ける。ここで多くの大学生が将来が見渡せず職業選択に悩んでいる姿をみて、中学生や高校生の時から職場体験などを通して社会や会社の実際を知る必要があることを痛感。武政さんは中学生や高校生の職場体験を仲介するNPOが作れないかと考えたそうだ。同社を3年で退職し、キャリア教育支援誌を発行している株式会社さくらノートに入社する。この会社はさがみはら産業創造センターのインターンシップを経験した先輩が在籍していて、その先輩から誘いがあったそうだ。中学生や高校生の職場体験のアイデアがこの組織で実現できるのではないかという思いもあり入社を決意する。
同社で営業や冊子制作の経験を積んでいくが親会社の都合で解散することになり、それならばNPOとして再出発させようと武政さんは考え実現させていく。さくらノート時代から応援してくれていた多くの人達の応援を受けて2019年9月にNPO法人アスリードが発足する。中心となるメンバー3人はいずれも彼のインターンシップの経験者。起業家教育のインターンシップが起業家を産んだという訳だ。武政さんはこのNPOの共同代表の一人となっている。アスリードの事業は大きく分けて三つ。1つ目が中高生向けの職業体験事業、2つ目がキャリア教育支援誌「みらい百花」の発行などのメディア事業、3つ目が定時制高校での退学予防と進路未決定者支援事業。長年温めていた中学生や高校生の職場体験のアイデアがこのNPOで実現できたということだ。発足したばかりのNPO、財務基盤も漸弱で自転車操業が続いている。資金繰り表と預金通帳を睨む日々が続いているのだろう。「切羽詰まっていて危機感があるから今の方が頑張れる。自由に発想し、それを実行していくことに生きがいを感じる」と武政さんは言う。「いろいろなことにチャレンジし、それが成功するという好循環も生まれつつある」とも。インタビューの最後に今後の目標を聞くと「このNPOの活動を神奈川県全域に広げていきたい」と話してくれた。
(インタビュー・文/山本満)